英語を通じて発信するチカラを☆

「教える」ことは意外と簡単で、「育てる」ことが実に奥深く、難しい。

無理な型に押し込めるのでなく、その人の個性が「自然に」発揮され、発展して行くように

教材や指導法、接し方に至るまで進化させることで

「伸び悩んでいた英語が爆発的に伸びた」

「コミュニケーションが楽しくなり、目標が見つかった」

「生き方が、変わった」という喜びの声を、数多く頂いてまいりました。

勉強することは、豊かに生きることに繋がる事を実感していただくことで

私も多くの教え子から、勇気付けられ、ここまで来ました。

英語も「言葉」であり、伝えたいことを表現する道具に過ぎません。

文法や解釈や、単語を語る前に、「何を」伝えたいのか、その中身を磨くことから
始めます。

「 右も左もわからない」という表現がありますが

そもそも「右」とは何なのか、日本語で説明できますかと問えば

なかなか納得できる表現が見つからず、生徒さんは頭を悩ませます。

「考える」とは、例えばこういう事なのです。

ただ機械的に大量の問題を解く反射神経を鍛えるだけの「勉強」や

お手本を書いて書いて書きまくるだけの「根性」だけでは

考える力や、どのように問題意識を持ったらよいのかを

「思考」する力は、育ちません。

私は離婚の経験がありますが

「離婚の是非についてあなたの考えを120単語以上の英語で述べなさい」と

早稲田の法学部あたりで仮に入試に出たら

たとえ自分に経験が無くても、誰が見ても納得できるような文章を書かなければなりません。

どんなに英語が出来る人でさえ

論理的整合性を持った明快な文章を書く力が無ければ

ある意味では「幼稚」な部分を捨てて、「大人」な文章がわからなければ

太刀打ちできません。

いくら英語がしゃべれたとしても

それだけでは、真の発信力は生まれません。

私が30年以上にわたり、教壇で伝え続けてきたことがあります。

「人を動かすのは、生き方である」

英語のテストが満点でも

人間性が育っていなければ、いけない。

目指すべき目標は、もっと上にあるのです。

久里浜・池田塾では、志望校現役合格は勿論のこと

「生きる力」を育てる指導を、思い切りやらせていただきたいと

考えています。

                       池田塾 塾長  池田覚

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